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2012年7月 第二週

7月 9日(月)
6時出社。いつもの朝早い月曜日だ。1100~1400沖縄経済同友会常任幹事会、例会(ロワジールホテルにて)。例会の講師
は、澤昭裕(さわあきひろ)氏。21世紀政策研究所主幹の肩書。最近、原発・電力問題の討論会でよくTVで見かけるが、
中々の論客だ。テーマは、「今、何を議論すべきなのか?エネルギー政策と温暖化政策の再検討」。データを基に理路整然と
電力・原発問題を語る。小生、3時に約束があるので、途中退席する予定が時間ぎりぎりの2時迄聴いた。著書を購入して
きちんと勉強させて貰おう。

7月 10日(火)
1900~2100忠孝クラブ(あやふににて)。先月は、所用で欠席だったので、今回は出席せねば。サン食品の小川氏が新商品
の冷し沖縄そばを持って来てくれ、あやふにで調理して貰い初めて味わったが、これが美味い。沖縄そばを冷して食べる発想は無かったが、暑い夏にピッタリ!

7月 11日(水)
夕方6時前にハーバービューホテル着。母に姉、そして従姉は既に席に座っていた。もう一組、叔母に従姉が少し遅れて到着。Y嬢は、今日は清楚なワンピース。このヒト、普段はミニだから。姉が母親の引っ越しの手伝いの為、藤沢から来ているが、土曜の朝に戻る予定。僕は、金曜の朝から奄美大島に出張なので、今日、お世話になっている親戚を呼び、食事をご馳走しませふと。ホテルの島袋嬢が挨拶に来てくれた。Y嬢は顔なじみ。今日は、洋食バイキングだが、93歳の母に88歳の叔母は余り食べない。女性6名に男は僕ひとり。食事を終え、皆をフロントで見送り、小生とY嬢は10階のBarでワインを一杯ずつ飲み帰宅。家飲みですヨ。

7月 12日(木)
1800~1900。49歳の女性が経理で応募して来たので面接。通常は、一次面接は大田が担当だが、当人が今日は休みなのだ。
中高年が、当社のように若いスタッフと交えてきちんとコミュ二ケーションを取り乍ら仕事をしていけるかどうかがポイント。向上心のあるオバさんは少ないからねェー。さて、どうなるやら。明日は出張なので、2100迄残業です。

7月 13日(金)
0900空港着。沖縄ツーリストの担当の方から航空券を受け取る。殆どの皆さんは、既に着いているようだ。チェックインをした後、JALの待合ラウンジに。沖縄経済同友会の玉城代表幹事(沖縄銀行頭取)、他のメンバーと挨拶を交わし、しばし雑談。これから沖縄経済同友会のメンバーで奄美大島に向かうのだ。1005RACにて那覇発、1110奄美大島着。
迎えのバスで、奄美パークへ。直ぐ昼食だ。奄美の代表的な郷土料理の鶏飯がメイン。薩摩藩に侵略され、直轄地の頃、役
人をもてなす為に作られたそうだ。白いご飯の上に、今日は、鶏肉、錦糸卵、しいたけ、パパイヤ、ねぎ、とりみそ、きざみのりの7種類の具をのせ、熱い地鶏のスープをかけて食べる。あっさりして、暑い夏には食欲をそそる。
その後、奄美パークを見学。田中一村記念美術館を併設していて、両方とも館長は宮崎緑さん。昔、NHKの「ニュースセンター9時」で初の女性キャスターでつと有名。今年、沖縄でも田中一村展が開催されたが、勿論この記念館からの貸出し。
田中一村記念美術館では、年4回入替えを行い、70数点ずつ常設展示しているとの事。
ひと通り見学して1400頃、ホテルへチェックイン。会議迄、1時間以上時間がある。部屋でゆっくりという訳にはいかない。奄美パークに居た時から、N響の野島さんから、ひっきりなしに携帯が鳴る。明日、沖縄でN響の復帰40周年記念公演をするのだが、僕も2年程前から開催に向けてお手伝いをさせて頂いたのだが、それに関連して・・・。野島さんも去年N響の理事長を退いたのだが、ご自身が手掛けた企画だから心配なンだ。
1530第9回沖縄・鹿児島経済同友会交流会開会。先ず、歓迎挨拶で鹿児島経済同友会の代表幹事、そして訪問挨拶に沖縄経済同友会の玉城代表幹事。その後、パネルディスカッション。テーマは、「奄美諸島が面白い!」。奄美のパネラーでカメラマンの浜田太氏を初めて知った。25年前に奄美に戻り、その自然の美しさに魅せられ、近年はアマミクロウサギの子育ての様子を世界で初めて撮影し、話題になったそうだ。こういう信念の方の支えで、地方の魅力は光輝く。
さて、休憩をはさみ、1800~1900基調講演は、奄美パークの館長でもある宮崎緑さん。テーマは「奄美と一村」。宮崎さんは、奄美の魅力に取り付かれ、奄美パークの館長を引き受けられたようだ。今でも月に1~2回は奄美に来るという。現在、千葉商科大学政策情報学部長が本業。この方、慶応大学を出て、昭和57年にNHK「ニュースセンター9時」で初の女性キャスター。当時は相当な人気だった。機知に富んで、話も上手いし面白い。
1910から懇親会。鹿児島県大島支庁長さんや、奄美市長(代理:川口商工観光部長)の挨拶の後、夕食・歓談。9時頃にな
り、佐仁集落による「8月踊り」。総勢40名の中高年(?)の男女の踊り手が賑やかに元気よく。最後は「ロクチョウ」で。
沖縄のカチャーシーと同じ。会場全員で踊り、大いなる盛り上り!黒糖焼酎を沢山飲まされ(?)この激しい踊りで息を乱している頃、2130司会から閉会の挨拶を、沖縄経済同友会組織拡大・交流委員長お願いしますときた。壇上に上り、先ずは第一声。イヤハヤこういう状況でのスピーチは酷(コク)ですネェーと。宮崎緑さんの講演の中にあった奄美の人は薩摩の人を・・・とか。1200年代から始まった奄美処分(こういうことばがあるかは分からないが・・・)を乗り越えて、鹿児島、奄美に沖縄も加えて英知を結集して奄美大島の観光が発展する事を祈ります・・・という内容のスピーチを終えた。
閉会後、いろいろな方からご挨拶を頂いたので、少しは良かったかも・・・。
その後、皆で二次会へ。我々沖縄一行16名に奄美側の数名。奄美諸島振興開発基金の澤田理事長は、鹿児島側が別途二次会に流れている事に、親睦を深めず勿体ないなァーと。それはさておき、沖縄側も深夜12時迄には、皆オヒラキとなったのだが、澤田さんの案内で、事務局の若手2名に南西地域産業活性化センターの前中氏に小生を含め5名で三次会へ。若い奄美美人がいっぱい!澤田さんが小生に今日は03時迄付き合って下さいヨと。流石に2時には眠くなりホテルに戻りバタンキュー。イヤハヤ奄美の夜も長い。しかし、澤田氏、愉快で、地元奄美振興に力を入れている理事長さんでした。小生より若いのに、しっかりしております。こういう方が、奄美の政策金融機関のトップに居る間に、地元の経済界も頑張って欲しい。

7月 14日(土)

0730起床。流石に眠い。0820ホテルロビー集合。今日の便で沖縄に戻る組はバスに乗り込み、黒糖焼酎の工場見学、そして大島紬村に立ち寄り、大島紬の製作工程を見学させて頂いた。1300年前の太古より、糸の一本一本から絵柄に合わせて染める技術は驚嘆に値する。糸作りから始めて1年もの年数をかけるので、ある程度高値になるのは当然だ。しかし、近年のファッションの洋風化の影響で経営は大変だそうだ。小生、かりゆしウェアタイプを1着購入。お値段は31.500円。
1205RACにて奄美大島発、1310那覇着。タクシーで帰宅し、しばし昼寝。夕方5時前に沖縄市民会館へ向かう。近く迄
行くと大渋滞。皆、楽しみにしていたのだ。そう、6時から復帰40周年記念事業として「NHK交響楽団沖縄公演」なのだ。指揮は広上淳一氏にヴァイオリンのソリストとして渡辺玲子さんが加わる。2年程前から、元NHK沖縄放送局の川端さんに当時の野島理事長を紹介され、開催に向けて、尚先生と共に色々とお手伝いをさせて頂いた。会場の前も長蛇の列だ。受付で名前を告げると、D部長が来られてチケットを頂いた。
さて、プログラムはチャイコフスキーだ。先ず、ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35。始まって10分後に渡辺玲子さんの弦がプツンと切れた。アラッと会場も異変に気付いたが、指揮者の広上さんやコンサートマスターも慣れているのか、にこやかに渡辺さんが楽屋裏で弦を張り替えているのを待っている。約6~7分後、何事も無かったかのように最初から再開だ。流石プロ!
休憩15分をはさみ、後半は交響曲第4番へ短調作品36。そして、最後は県内の中高校生100名がオーケストラ後方の壇上に並び、沖縄のうたの合唱だ。「てぃんさぐの花」「芭蕉布」「安里屋ユンタ」。指揮者の広上淳一氏が、会場も一緒にと促すのだが、皆、手拍子位。沖縄の聴衆はおとなしい?夜8時、全プログラム終了。「至福の響きを沖縄と共に」と、パンフレットのキャッチコピーにあるが、県民にとってはまさしくその通りになったと思う。
手配してあったタクシーで真っ直ぐ帰宅。何しろ、奄美の翌日だ・・・。

7月 15日(日)
1100出社。僕の机の上に届け物がいろいろと置かれている。野島さんからの心尽くしの品物が既に届いている。感謝。
今日は、昼1時から甲子園行きの切符をかけ、高校野球の決勝戦をNHKで中継する。会社のTVのスイッチを入れると、あらマ、映らない。今日は見逃すわけにもいかない。何しろ、昨日の沖尚-糸満の準決勝で、沖縄ツーリストの東社長が、決勝戦は球場に応援に行かねばと張り切っていた。東社長、沖尚のPTA会長だそうナ。小生曰く、まぁ糸満に勝ち、春の九州大会でも準優勝だったので、7~8割で沖尚の優勝ですヨと。
一旦退社し、新都心のH大先輩の自宅に立ち寄り帰宅。TVを点けると、1回表、沖尚が2ランホームランで2対0。普通ならこれで沖尚が順当に勝つのだが、その後沖尚の強力打線は成りをひそめ、逆に浦添商業の貧打(失礼!)が、粘り強く沖尚の投手を攻める。終わってみると8回のピンチでエラーで自滅。8対5で浦添商が4年ぶりの甲子園進出。こう言っては何だが、今年の沖尚は甲子園で優勝を狙えるチームだった。浦添商が甲子園に出て、果してどこ迄いけるか。せめて、ベスト8進出はノルマだろう。そうでなければ、2回戦で第2シードの興南を5対4で破り、決勝で敗れた沖尚に対して失礼っていうモンだ。しかし、沖縄の予選は、皆レベルが高く、勝ち抜くのは大変だ。浦商、頑張れ!
野球が終わり、1600会社へ戻る。夜8時、営業の新人の小濱君が帰社。しばし、報告を受け2030二人で退社。僕は、シネマQへ。2055開始のジョニー・デップの「ラム・ダイアリー」を見て、Suiで赤ワインをグラス一杯飲み、帰宅。
TVでニュースを見ている間にウトウト・・。
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2012年07月18日 13:25
Posted by 比嘉ブラック社長
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