2012年8月 第一週
1500長野県よりY様ご来社。先月、小生の著書「南風が通る家」を読まれたそうで、弊社に住宅造りをお願いしたいとの事。有難き哉。設計、工事担当も同席させ、住宅造りへの想いをヒアリング。やはり、原発問題だ。身につけている時計も、放射能の測定機能がついていて、更に堀場製作所製の測定器も常に持たれているそうだ。我々は、沖縄に居てピンとこないが、関東に住んでいる方からすると切実な問題だと言う事が理解できる。
1630打合せを一旦終え、設計担当の玉賀が与那原町の東浜(ラ・コスタ)に3棟の住宅をご案内。小生は会合があるので1730退社。
8月2日(木)
1530-1630沖縄県庁にてラ・コスタ総括会議。店舗併用住宅の建築は是か非かの各社の代表会議である。飲食店ではあるまいし、自宅の一室で、将来小さな語学教室を開きたいとのお客様が居て、それが可能なら分譲地を購入して、建築を検討したいとの事。当然、良いに決まっているでしょうが・・・。街並みの雰囲気を壊すわけでもあるまいし!
1700帰社。日経夕刊で体操男子、個人総合で内村航平が「金」。団体では、ふがいない演技をしたので、どうかと思ったが、流石世界の№1。プレッシャーの中、きちんと演技をしたのは立派。まだ23才、4年後のリオデジャネイロ五輪で更なる進化を見せて欲しい。
さて、一方で男子200メートル平泳ぎ決勝。注目の北島は4位に終わり、立石(23)が銅に輝いた。三大会連続の100と200メートルの平泳ぎで「金」を期待され、昨年の世界選手権で自己記録を更新し優勝した努力と天才の人、北島も流石に世界の若手のスピードに脱帽だ。しかし、恥じる事は無い。その功績は偉大だ。
8月3日(金)
0920那覇空港発、1055福岡空港着予定が15分程遅れた。最近のANAは遅れが目立つ。地下鉄、新幹線を乗り換えて、12時過ぎに小倉駅着。TOTOの元沖縄支店長Y氏が、改札口に待っている。今は、九州支社の企画課だ。これから本社で会議だが、その前に昼食でもとお誘いがあった。沖縄や九州の業界動向の情報交換。シャチョー、沖縄に行きたいですヨー。
1300の開会式には出席出来ず、1330からの基調講演は始まったばかりのようだ。席はぎっしりと埋まっている。全国から500名余!凄いネェー。去年は3.11で延期になり、今年で13回目。第1回の沖縄(!)から始まり、地元の工務店が自らボランティアで企画・運営をする。スポンサーも無く、よくぞここ迄続いたモンだ。
講演を少し聞いて、ホールのメーカーさんの展示ブースを廻る。皆さん、懐かしい顔も多い。
1515~1645フリーディスカッション「震災と地場工務店の役割」。コーディネーターは、前回迄この会の会長を務めておられた山本里見先生(仙台在)。そして、パネラーは石巻市で設計事務所所長の木村氏と、この健康住宅サミットの第4回石巻大会の実行委員長であったヒノケン㈱の日野社長。石巻市は3.11の大震災で一番被害の大きかった地域。小生も震災後に石巻市を訪れたが、只、只、無言で見るしか無かった。カメラのシャッターなど論外。大手のハウスメーカーは新築受注にここぞとばかり、大部隊を派遣しているそうだが、ヒノケンさんのような地元工務店は、既存のお客様からの修繕・リフォームのご要望にひとつ一つ応えて、新築の対応どころでは無かったようだ。勿論、大手は面倒臭いリフォームはしない。自分達の廻りにも犠牲者は沢山出たが、日野社長の話を聞くと、金儲けよりお客様に対する真摯な姿勢が大切なんだと教えられた。自分も、県外の仲間に支えられたので、もし、全国の仲間が同じ様な事となれば、直ぐに飛んで行きますという最後のことばが印象的であった。
1800懇親会。今迄の実行委員長が壇上に呼ばれ、即、乾杯の音頭。えっ、小生が最初の挨拶!?第1回~13回迄に到る、人と人のつながり。金儲けより人儲けだからこそ、ここ迄続いた事への感謝の気持ちを伝え、これからも皆の力を合わせ、このサミットを続けていきましょうと乾杯の発声をした。(大拍手!)全国の仲間から、ヒガさんと挨拶や乾杯の盃。小生、何も食べる暇なく、皆と二次会、あちこちに呼ばれ三次会、四次会・・・。部屋でバタンキュー・・・。
8月4日(土)
9時から各分科会が始まる。小生の分科会は10時から打合せ。1045-1200分科会「効果的な集客手段について」のパネラー。コーディネーターは長い付き合いの棟匠(水戸市)の石川社長。その他にパネラーが4名。しかし、効果的な集客方法にこれだという結論は難しいワナ。昼食の後1300-1415新建ハウジングの三浦編集局長の「行列のできる工務店」の講演を聞く。この三浦氏、論理的でその観察者としての鋭さにはいつも感心する。1425-45いよいよ閉会式。次回は茨城県つくば市。地元の大工さん達が手を挙げたようだ。1年後の再会を約束して解散。ホテルのロビーに降りると、旧友の三井さん(日立元沖縄支店長)が待っている。今回は、いつもの中洲ではなく、下関を案内するとの事。小倉から門司、そして下関だ。海峡ゆめタワーの30階の展望フロアから、360℃のパノラマだ。NHKTVの平家物語の決戦の地となる壇ノ浦が遠くに見える。宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した巌流島は眼下だ。1612年4月13日がその時というから今年は400年目。ボクラからすると、遥か昔だが、宇宙からすると一瞬だ。その後、赤間神宮で平家一門の墓や、耳なし芳一の言い伝えのお堂を見て隣の春帆楼へ。昔、豊臣秀吉が朝鮮出兵の折、当然下関が出兵の基地になったのだが、フグの中毒で多数の兵士が死亡したらしく、怒った秀吉は武士にフグの禁止令を出したとのこと。明治になり「春帆楼」で「ふく(下関ではこう呼ぶ)」を食した伊藤博文がその美味さに感嘆し、免許制でふぐ料理を解禁したという。勿論春帆楼が明治21年、第一号指定である。
8月5日(日)
朝8時、Y嬢からメールあり。沖縄が台風で、同時通訳の特訓セミナーも自宅でのインターネット講座に切り替わったと。福岡空港に電話を入れると、1350発のANA便は既に欠航が決定。2000発の最終便は未定だと。ANAの予約センターに何度電話を入れても話し中。いつも、チケットを手配して貰っている沖縄ツーリストのメインプレイス店が年中無休で電話受付なので電話を入れる。しかし、話し中・・・。川満君(JTA元常務)にも電話を入れ見通しを聞く。1時間程電話をかけ続け、偶然(?)にも沖縄ツーリストに通じた。今日は全て欠航。明日(6日)の福岡発沖縄行きは全て満席。7日(火)の1350発のプレミアムシートにキャンセル待ちは入れられるが・・・と。とりあえず頼んでおく。
11時ホテルを一旦チェックアウト。タクシーでキャナルシティーへ。TOTO沖縄支店の元支店長Y氏が企画部の担当で、キャナルシティーのショールームをYKKとのコラボのショールームに改装してオープンしたばかり。是非見て下さいと連絡を頂いた。窓は、住宅にとってデザイン及び機能上重要なので、合同ショールームはお客様には役に立つ。さて、タクシーで福岡空港へ。ANAのカウンターで、どう沖縄に戻ったら良いものか相談。あれこれ調べて貰うと、明日(6日)の広島0830発の便が数席空いていると言う。それ!広島発沖縄行きは振替便の対象になるが、広島行きのANA便は無いので、広島迄は個人負担になると言う。しかも、明日飛べるか不明ですヨと。ハイハイ。博多から新幹線に飛び乗り、広島駅の観光案内カウンターにあるパンフレットを見て、駅近くのホテルに電話をすると、皆満室だと言う。不思議に思い理由を尋ねると、明日(8月6日)が原爆記念日で平和式典があり、この時期は毎年満室です。アラマッ。Y嬢からスマホが鳴る。東急リゾートなら私の父が手配できるが、駅から離れているらしいヨと。あちこち電話を入れると、駅近くの東横インが、シングルのキャンセルが入ったという。ラッキー。1500チェックイン。部屋に荷物を置き、せっかくだからと原爆ドームへ。市内150円均一の路面電車に乗る。乗客でいっぱいだ。沖縄でも、ゆたかはじめ先生が路面電車を推進しておられるが、環境にも優しいし、オナガ那覇市長は早急に導入を決断して欲しい。原爆ドームの前は多勢の人。ボランティアのガイドさん達も白い大きなテントの中に多数。原爆記念館で当時の写真や、被爆者の声の資料を見たが悲惨・・・。いろいろな団体がビラを配っている。橋の上では、原発推進、核爆弾を中国に対抗して持つべしという団体が演説をしている。右翼では無さそうだが、機動隊と公安が遠巻きに警戒をしている。若者の集団なので新たな宗教団体か?
公園から商店街を歩き、1700ガイドブックにある居酒屋に入る。瀬戸内の魚に地元の冷酒。開店したばかりなので小生が第一号。1時間程で出て、街中を歩き、お好み焼きの店に入る。ソースとマヨネーズが嫌いなのに?とはY嬢の弁。まぁ地元の名物だし。カキ入りを注文。中高生と引率の先生や家族連れで満席。鉄板カウンターの前なら空いていると案内されたが、これが又、鉄板の熱で暑(熱)い!軽く食べ、早々と店を出てホテルに戻る。TVでニュースやオリンピック観戦。